JST CREST 現代の産業社会と
グレブナー基底の調和

情報基礎数学専攻 | 日比 孝之

 科学技術振興機構の戦略的創造研究推進事業の研究領域「数学と諸分野の協働によるブレークスルーの探索」は2007年10月から始まった。戦略的創造研究推進事業における数学の研究領域としては初めてのものであり、その戦略目標は「社会的ニーズの高い課題の解決へ向けた数学/数理科学研究によるブレークスルーの探索(幅広い科学技術の研究分野との協働を軸として)」、研究総括は西浦廉政教授(東北大学原子分子材料科学高等研究機構)である。CRESTの研究課題の採択は2008年から始まり、2008年はわれわれの提案を含む3件が採択された。

 研究課題「現代の産業社会とグレブナー基底の調和」(通称、日比プロジェクト)は、純粋数学からの提案であり、高度に発展した純粋数学の理論と現代の産業社会における先端科学技術との“調和”を探ることから、社会的な難問の解決に向けての数学の積極的な貢献を考えることを目指し、現代数学の潮流の一つを成すグレブナー基底の探究に携わる代数学者、計算機科学者、統計学者らから構成される共同研究組織を作り、グレブナー基底と先端科学技術との調和を議論している。研究期間は、2008年10月から2014年3月である。研究組織は<理論系グループ><応用系グループ><計算系グループ>から構成され、研究代表者である筆者は理論系グループに属している。応用系グループのグループリーダーは竹村彰通教授(東京大学大学院情報理工学系研究科)、計算系グループのグループリーダーは高山信毅教授(神戸大学大学院理学研究科)である。

 グレブナー基底とは、際立った特徴を持つ多項式の有限集合である。代数幾何と可換代数など、多項式を扱う純粋数学の諸分野の発展に本質的な寄与をする概念であり、その理論の展開とともに、計算をするためのアルゴリズムの改良と実装は、現代数学の抽象から具象への潮流と計算機の急激な発展を追風とし、実際に計算できる代数学を樹立させた。その影響は、伝統的な統計学の領域にも浸透し、計算代数統計と呼ばれる斬新な分野の誕生を導いた。日比プロジェクトでは、多項式環と微分作用素環のグレブナー基底の理論と計算を飛躍的に深化させ、理論、応用、計算の有機的な連携から、純粋数学の範疇を越え、統計学の根幹に劇的な変革を導くことに成功している。その変革は、グレブナー基底の「第4のブレークスルー」と呼ばれ、大規模な計算を可能にするアルゴリズムの進化と相俟って、統計学を不可欠とする現代の産業社会と先端科学の諸分野に広範な波紋を及ぼすことが期待される。

 下記、日比プロジェクトが誇る、顕著な3本の論文とその概要を紹介しよう。

 国際会議"Harmony of Gröbner Bases and the Modern Industrial Society"(ホテル阪急エキスポパーク、2010年6月28日から7月2日)の報告集である。海外からの参加者は11ヶ国から34名、外国人招待講演数は30個と、国際色豊かな盛会であった。

●論文

 H. Nakayama, K. Nishiyama, M. Noro, K. Ohara, T. Sei, N. Takayama and A. Takemura, Holonomic gradient descent and its application to the Fisher-Bingham integral, Advances in Applied Mathematics, 47 (2011),639-658.

●概要

 ホロノミック函数の局所最大値、最小値を求める一般的アルゴリズムを与え、それをn次元球面の上のFisher--Bingham積分に付随する尤度函数に適用し、有効性を示した。Fisher--Bingham積分は方向統計学における最も基本的な非正規化確率分布の正規化定数である。この手法はホロノミック勾配法と呼ばれ、D加群の理論とグレブナー基底を利用したアルゴリズムを積分に適用し、局所最大化、最小化問題を数値解析の問題に変換する、数式数値融合アルゴリズムである。

●論文

 H. Ohsugi and T. Hibi, Toric rings and ideals of nested configurations, Journal of Commutative Algebra 2(2010), 187--208.

●概要

 Segre-Veronese配置の一般化である「入れ子配置」に付随するトーリック環の正規性とトーリックイデアルのグレブナー基底を研究した。もとの配置のグレブナー基底から「入れ子配置」のグレブナー基底を構成する一般的な方法を発見し、更に、もとの配置のトーリック環がすべて正規であるならば「入れ子配置」のトーリック環が正規であることを証明した。これらの結果の応用の一つとして、懸案の3×3輸送多面体のトーリックイデアルの二次のグレブナー基底に関する顕著な結果を得た。

●論文

 H. Hashiguchi, Y. Numata, N. Takayama and A. Takemura, Holonomic gradient method for the distribution function of the largest root of a Wishart matrix, Journal of Multivariate Analysis, in press.

●概要

 ホロノミック勾配法をウィシャート分布の最大固有根の累積分布函数の計算に応用した。この累積分布函数は行列変数の超幾何函数1F1を用いて書かれる。行列変数の超幾何函数は1960年頃に定義され、ゾーナル多項式に基づいた級数展開が知られている。ゾーナル多項式は数学的に美しいさまざまな性質を持つが、数値計算の観点から見ると、ゾーナル多項式の計算には組合せ論的な困難があり、次元が少しでも大きくなると計算が事実上不可能である。本論文では1F1の満たす微分方程式をホロノミック系の観点から再考察し、ホロノミック勾配法を適用することによって、10次元程度までの問題において、1F1の精度のよい数値計算が実用的な時間内で実行可能であることを示した。この結果は永年にわたる統計学上の懸案の難問の研究に突破口をもたらす劇的な成果である。

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